能率手帳の流儀

能率手帳の流儀
能率手帳の流儀


 様々なスタンスで書かれた本がある中、私がよい印象を持つ本というのは
・著者がその本で対象としているものに対してスキスキスキ!!と愛情を持っていること
・単なるひとりよがりの思い入れだけでなく、なんらかの説得力を持っていること
・その著者ならではの思考、思想、主張が含まれていること
 というようなものなのですが、この本は、もともと「さらっと読んでみるか」と思って買ったところ個人的にはぐっとくる部分がいっぱいあって、読んでよかったと感じさせられました。


 「手帳」という道具を題材にしながら、段取りやメモの取り方、楽しみ方など、仕事をする上での、いやもっと大きく言えば人生を楽しむための基本的な姿勢について啓蒙してくれているように感じました。 はっきり言ってしまえばその姿勢を実現する手段として全然「手帳」である必要はないということです。 が、わざわざ手帳以外を使う理由もないので手帳がもっとも手頃かなとは思いますが。


 私がこの本で印象に残った2つの事を。


■「HOPE」と「TODO」を分けよ!
 私もTODOリストをよく作りますが(スケジュール帳ではなくA6サイズのノートを使っていますが)、どうもどんどん項目が増えてしまった時の対応に困ることが多くあります。 そんな時にちょうど「やりたい」と「やらなきゃいけない」を分けるという方法を編み出したのですが、その直後にこの本を拝読し、うわぁぁぁ同じことを言ってる!! と少し感動したのでした。


■「そったく」という言葉。
 いま手元の本をめくりながらこの言葉が出てきた箇所を探したのですが、見つかりませんでした。。 
 「そったく(啐啄)」とは、卵から雛が生まれるとき、雛が内側からこんこんとつっつく「啐」、
 そしてそれに応えて親鳥が外から手助けをする「啄」。 必要なタイミングで呼吸を合わせる、あるいは時機を得る。
 そんな意味をこの言葉に感じました。
 人を教育するような場(普通に「先輩」な立場になる人は皆経験がありますよね)で、私はよく「水を飲ませる」という表現を使うのですが、飲みたくない人には飲ませられない。自分から飲みたくなるように誘導するのが教育だと常日頃より思っています。 「北風と太陽」の太陽作戦のようなものですが、タイミングがいつも難しい。適切なタイミングで適切な情報を与える難しさを思う中から、この本で目にした「啐啄」という言葉が非情に胸に滲みたのだと思います。


 特に難解さはなく心地よく読める(そしてきっと↑とは違う場所かもしれないけど)色々考えて苦労して仕事をしている人にはどこか心に残る場所があるんじゃないかな、と思える本でした。


 なおこれだけ合理的に手帳を使い込んでいる著者が、その手帳への愛情故に本質を見誤ったことを書いている箇所があり、その点だけは多少がっかりしました。 「手帳は自分の分身なのだから、端っこを折ったり、人にメモを渡すためにページを切り取ったりするのは許せない!」という趣旨でしたが、思い入れの強さが「必要ならば必要な行動(折ったり切ったり)」も採る」という選択肢を狭めてしまっているのは残念でした。(私は特に「切る」が必要なシーンはありませんが、必要ならば本でも手帳でも「折り」ます。便利だから。)


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