800字を書く力

800字を書く力 (祥伝社新書 102)

800字を書く力 (祥伝社新書 102)

 

 「ほぉそう来たか」と驚かされたことが、本書中に大きく2つ。
ひとつは「はじめに」にて、いきなりガツンとやられました。私は自分がまわりに話したい、伝えたいことがあるから文章を書いているのです。 いや、そうだと自分自身でも信じ込んでいました。しかしこの本の著者曰く 「人は書きたいことがあるから書くのではありません。書きたいことを見つけるために書くのです。」だそうです。 言われてみれば書いている途中で色々自分自身でも発見があります。それが心地よくて書き続けているのだという意味で、著者の主張にはなるほど、やられた、という気分でした。
 私はここの日記を基本的には「一発書き」だと決めています。推敲も校正もあまりしません(事後にふと読んでみてあまりにひどい意味不明な言い回しや誤字は修正することはあります)。そういう書き方をしていると、書き始めたときに自分が言いたかったこと(言いたかったと思いこんでいたこと)にどうしても結論が向いてくれないことがあります。書いている途中で当初考えていた部分とは異なる部分を強調したくなったり、そもそもの文章の流れがどうやっても当初言いたかった部分に帰結できないことがあるのです。そういった事も本書には書かれていて、それはそれでアリなのかなと思えるようになりました。まさにこれが「書くことによる発見」なのですね。 
 最初の一文に悩む話も非常に共感しました。私が書くのは主に技術系の本ですが、やはり「ツカミ」をどうするかで毎回かなり悩みます。先日でた本(ある章のみを担当)は最初の一文を書き始めるのに数日〜数週間かかりました。 最初の文が次に続く文を論理的に呼んできてくれるということを体験しています。


 2つめの驚きは、この本のタイトルは「書く力」なのに内容の主となるのは「読む力」についてであるということです。書く訓練を積むためには、まず他人の文章を読める必要がある、、もっと正確にいうと どんな文章でも正確に「解読」することができる必要があるということなのでしょう。このことを納得させるために紹介されている「リレー作文」の例は、非常に興味深いなと思いました。 そこまでに書かれたものをよく読んで想像力を働かせて、自分はその後に一文だけ続けるというものです。これは他人の文章だからじっくりよね想像することをやるけれども、自分の文章に対してそこまで自分が書いた文の流れをじっくりと読むことはあまりないという(少なくとも私はそう)傾向に対する指摘だと受け取りました。


 またネタバレになるので明記は控えるが、受験問題に自分の文章が使用されて「私でも正解にたどり着けなかった」と宣う著者の愚についての指摘は、辛辣かつ納得感があり、つい笑ってしまいました。


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