2024年10月5日に函館のはこだて未来大学で開催された YAPC::Hakodate 2024 に参加してきました。
yapcjapan.org
全行程概要
木曜日のお昼の便で函館入り。元々金曜の朝イチで行くつもりだったけど、飛行機の安いプランが売り切れ。木曜だと1.5万円以上安くなるので、それなら前の日から宿泊するのでいいじゃないか!と木曜日の函館入りになった次第。夜食と朝食で奮発することを計算に入れてなかったので結局安かったのかどうかよくわからない状態になったけど、ただの移動の費用がグルメ体験に化けたのでオッケーとします。
金曜は朝から道南巡り(「道南どうなん?」プロジェクト)。ざっくり書くと、函館-木古内-知内-千代の富士-北海道最南端-松前-江差-厚沢部-森-砂原-大沼-函館 を巡りながら色々眺めてきました(メインは基準点めぐり)。このへんの話は別途 noteに書きます。18時近くに函館に戻ってきたので、前夜祭会場には19時過ぎに到着。ラーメン屋に行ったりしました。
土曜はYAPC本体と懇親会。後述。日曜日にゆったり寝て、新函館北斗に移動して新幹線で帰ってきました。
前夜祭
そんなわけで夕方から開催されていた前夜祭会場に19時過ぎに到着。お寿司とやきとりとピザがあるとのことでおなかを空かせたまま突入したところ、こんな遅い時間には既に全て売り切れ。ビールもらいました!(これも追加でご用意いただいていたそうでありがとうございます)
聞けたら良いなぁと思っていた おぎじゅんさんたちの座談会が、ちょうど始まったところでラッキーでした。お題は「必ず来る未来?IT業界での50代をどう過ごす?」
歳を重ねてできることとできなくなること。できなくなった原因を取り除いてできるようにする意識(と行動)。 ざっくりこんな話題に大きく頷きました。
「やらないことを決める」
ほんとこれ、そのとおりだなぁと。
ちょっとやってみたくなることが沢山あって、つい手をだしてしまうのです。そして今までは結構その大半をこなしてきた(あるいは少しやってみて満足してきた)。でもできなくなるんですよね、歳を重ねると。
できない理由は純粋に脳の力と体力、という面もあるのですが、そもそも「やってみたくなること」の量が、歳を重ねると爆発的に増えてくるのも原因だと考えています。たとえば最初に3つの事に興味を持ってやってみたとするでしょう? そのうち2つへの関心が残って、それぞれから派生する話題3つずつ計6個に興味を持つ。その中から3つが残り、、のように多くの場合、既に自分が持っている体験に対して新たな刺激が与えられた時に関心が「生えてくる」ものなので、意識的に整理したりストップかけたりしないと大変なことになるわけです。でも、この「やらないことをきめる」という枝刈りを適切にしないと、つまり本来可能性があったところを刈ってしまうと伸びるべき経験が伸びない。「やらない」と決めるのもまた、結構大変なのです。
それでもその世界を見てみたくて少しだけ手を出してみることもあるけど、以前ほど深いところにたどり着く前に「だいたいわかった」と言ってやめる必要があることも多く、半端な知識ばかりが増えていくなぁと思う今日このごろ。
「2029年問題」
私は知らなかったのですが、高校で「情報」が必修科目になった最初の高校生が社会人になるのが2029年とのこと。先輩社会人達が習っていないことを、当たり前に授業の中で習得した(あるいは少なくとも「触れてきた」)社会人が誕生するのです。村井先生も執筆陣に加わっている教科書で勉強した高校生が社会人になるのです。期待でもあり、組織の中で明らかに知識の下剋上が発生することになることで生まれる混沌への不安と。どうなりますかね。
「計画的偶発性」
3人が口を揃えて言っていたコレ。言っていることにも 実際にやられてきた事に対しても首を500回ほど大きく縦に振ったくらい共感なのですが、率直に言うと言葉がキライ(笑)。 「計画的」って何? 起こる「かもしれない」ものに対して「計画」と名付けちゃうの? あなたの「計画」ってその程度のものなの? そんな人に「計画を立てましょう」とか言われた日には大笑いするしかないでしょ! と、そんなお気持ちになるのです。
もちろんクルムボルツ先生が悪いのではなく、日本語への訳として選ばれた言葉が悪いなぁと。 planを辞書で引くと、動詞としては「計画」のほかに「もくろむ」とか「するつもり」とか「見越す」などの意味が載っているので、日本語の「計画」よりも実現可能性が高くないシーンで使える言葉なのかなと感じました。「偶発性を見込む(見込まれた偶発性)」とか「偶発性が発現するようもくろむ(もくろまれた偶発性)」のような表現だと、「計画的」よりは本来の内容に則した言い回しになるんじゃないかな。
ある意味(部分的には)、「犬も歩けば棒に当たる(の良い意味に転用されたほう)」とか「種まき」などの、昔から使われてる言葉で語ればいいじゃん、と思わなくもない。おぎじゅんさんが「僕は無計画的偶発性理論」と言ったのは、このように「計画」という言葉に違和感があったからでは?と想像しました。
色々書いたのでまとめると、ステージ上で語られた「偶然に助けられたというシーンが多い。でもその偶然に出会えるような場所にちゃんと居る(≒種を蒔いている)」という言葉は、肌感覚としてそのとおりだよなぁと思った次第です。種まきでも罠を仕掛けておくでも釣り針を垂らしておくでも足で稼ぐでもいいので、そういった「結果をたぐりよせる」ような行動を、ごく自然に採ってきた方達なのだなぁと、お話を聞きながら感じました。
全体通して、とても良いお話を聞かせてもらったし、自分の思っていた(けれど確証のない部分もあった)内容と一致することも多かったし、素晴らしい座談会でした。ありがとうございました。
前夜祭後に市電で函館駅に戻る
前夜祭会場は函館駅からは少し距離があります。何人かで声を掛け合える人たちはタクシーで戻った人も多かったようですが、市電で戻る人も多く。 本数少ない市電に多くの人が行列しましたが、あんなに並んでいた人たちがやや窮屈ながら全員車両に収容されました。市電って意外と中が広いのですね。 混んだ車両の中では、とある出展者のグループ(の中のひとり)が大きなリュックを背負ったままで、揺れるたびにガンガンぶつかってきて「周り見てねーなー」と微笑ましかったです。「あなたが周りを見ていなくても、周りはまたあなたを見ているのです」という有名なことばがありますので(ない)。
車内を観察していると、車内はいくつかのグループと多くのヒトリモンたちから成っており、ヒトリモンsの中のひとりとして、YAPC本体が終わった後はみんな、来た時よりも少しでもお話できる仲間が増えているといいなぁと願いました。
夜のお食事1
おなかペコペコなので、一旦宿に荷物を置いて身軽になってから、ひとりラーメンに。
真ん中についたてがあって4人+4人が向かい合って座るタイプのカウンター席。4人連れが座っていたので反対側に着席。座ってみたら目の前に座っている人は「Get The Perl」Tシャツだし、着丼待ちの間にTwitterを見ていたら一番左の人(かむぱねるらさんでした!)と目の前のTシャツの人(おがたさんでした!)のラーメン写真ツイートを発見しちゃったし。確証を得たので声をかけりゃいいのに、内気な私はとりあえずメンション(笑)。見てくれてる感じがないので(なにその野鳥観察みたいなの。まず声かけろよ>自分)、先に食べ終わった私、出がけに勇気を出して声をかけてご挨拶させていただきました。一般参加者ではなく運営にご尽力くださっていた皆さんでした。直前まで現地で前日準備をしてくださっていたとのことで、お世話になりました!!!
夜のお食事2
Twitterを眺めていたら、知っている人が近くで「まだ席あるよ」と書いていたので連絡して混ぜてもらいました。
考えてみたら、この席に混ぜてもらっていることが不思議な出来事の積み重なりで、まさに「計画的偶発性」の例として面白いんじゃないかな、と思うので、少し語りますね。
遡ること4年ちょっと。 コロナ直前の2020年の2月に Geospatial Hackers Programというハッカソンに参加しました。
sakaik.hateblo.jp
ハッカソンに積極的に参加していたわけでもないので、なぜこれに参加しようと思ったのかは今となっては思い出せませんが、なにかピンと来るものがあったのでしょう。とにかく名古屋まで行って参加しました(他の地域の開催もあり、福井や沖縄に行く手もあったのですが、名古屋を選んだのもまた偶然)。
その場で組んだ4人のチームは優秀な成績を収め「全国大会」へと出場しましたが、特に何かを一緒に継続するわけでもなく、その後はSNSで緩く繋がる程度でした。
数年経って、アフターコロナで様々なイベントが再開される中、何故か RubyKaigiに参加しました。Ruby書いてないのに。松本に行きたかったというモチベーションに導かれて初めて参加した RubyKaigi の某社ブースで声をかけてくれたのが、ハッカソンでチーム仲間だった(しかもその時は学生さんだった)やぎじんさん。 広い会場で、私が参加するなんてどこにも書いていないのによく気づいて声をかけてくれたなぁと、この再会だけでも「ありえないくらいの偶然」といえる出来事でした。
その際、ご同僚の方とも一緒にお昼ごはんを食べに行くことになった、そのご同僚が、上でツイートを引用した やんまーさん。
sakaik.hateblo.jp
そして今回、やんまーさんが YAPC::Hakodateに参加されていて、↑のツイートに至る、という流れでした。 ジオ系イベントで名古屋に行ったことに始まり、Rubyのイベントで松本に行き、Perlのイベントで函館に行く。どれもたまたま参加したもので、そこでの出来事が次に繋がっていくという不思議なご縁の連鎖でした。(こういうことって実はたまに結構ある)
そんなわけで、ラーメンだけ食べて部屋に戻っていたかもしれない私が函館の楽しい夜を過ごすことができたのも、いわゆる計画的偶発性のおかげ。クルムボルツ先生に感謝です(関係ない)。
混ぜていただいてありがとうございました! 「五稜(お酒)」おいしかったですね!
斯くして前日の夜は更けにけり
Twitter(X)を見ていると、とても元気な集団が夜中まで楽しそうにしている様子が流れてきたり、前夜祭会場から載せてくれたタクシーの運転手さんが飲み会に参加してくれたという楽しそうな話があったり、各グループ盛り上がっていたようでした。楽しそうなイベントでとても良い。
私は朝からの300kmを超えるドライブの疲れもあり、おとなしくお部屋に戻って休みました。楽しい一日でした。
という文章を9割方、イベント終了後3日くらいのうちに書いていたのですが、最後に仕上げるための時間がずーーっと取れずに下書きのままま眠っていました。前日までの話で力尽きた感じではありますが、これ以上寝かすのも何なので、いったんここで投稿することにします。