心の傷は言ったもん勝ち

「心の傷」は言ったもん勝ち (新潮新書 270)

「心の傷」は言ったもん勝ち (新潮新書 270)


 なんとも微妙でコメントしにくい本だった。 それはまさに本書で指摘されているような「被害者帝国主義」の中、敢えて正しい(けれども一部の「おかしい」人たちの攻撃の標的となる)ことを表明しない判断を賢明と感じる思いが私の中にあることと、もう一点は著者がばっさばっさと言い切る数々の事例の中で自分の共感できる部分には強く賛同するにも関わらず別の事例では思い込みの強い著者の身勝手さに不快感すら得たことから、私はこの本に対して本質ではなく私自身の身勝手な心から来る鬱憤を晴らすことを求めていたのではないかという気がしたからである。


 症状に名前が付くことによる不安は、素人ながら私も感じていた。「あなたは○○症です」と言われた途端に安心してしまう人やさらに「自分は○○症だから」と改善努力を放棄する言い訳に使う人などを多く見てきたからだ。本書で(表現は違うけれども要約すると)「そんなの病気じゃねーよ!」とばっさり切り捨てる辺りは心地良い。


 一方で例としての「賭け麻雀」について「ふつーやってるでしょ。」という立場を前提にした論は、賭け麻雀をしない私(本書によると私は「世の中の人のかなり多く」には入れてもらえないようです)には理解不能だった。(ルールが判る程度ですけど)麻雀をしたことはあっても、将棋や連珠やオセロなどと同様にゲームとして楽しむものだたので著者の開き直りとも取れる書き方は、「俺がやってるから世間的には許されるべき」論のようで、本書の他の事例についても改めて考え直しを迫られる思いだ。
(「車じゃないと移動できないんだし、俺の周りみんなそうだから、ちょっと呑んで飲酒運転するくらいふつーみんなやってるでしょ? たまに事故が起きて何人か死んだりするけど全体から見たら微々たるものだから、そんなことに目くじらたてるなんて、世知辛いよ」という論との差異を掛け麻雀普通論には見いだせない。もちろんこの飲酒運転の事例もとうてい容認できるものではない。)


 最後の章の「精神力を鍛えよう」はポイントがコンパクトにまとまっていて良いなと感じた。以前この日記でも書いた(http://d.hatena.ne.jp/sakaik/20080425)東山さんの「プロカウンセラーの○○」シリーズで「プロカウンセラーは人格を鍛えていますので」の一節に感銘を受けたと書いたことがあったが、それに通じるものがあるのではないかと思う。
「人のせいにしない」「おおざっぱでもよい」「忘れる」「相手の立場に」「不可能だと決めつけない」「普遍的価値のために」「ここぞで全力」。どれも聞けば当たり前のことばかりなのについ忘れがちなこと。この七箇条を書いてどこかに貼ってもいいくらいだと思った。


 この中で特に 「忘れる」大切さ を伝えたい人がいます。 いつか適切に助言できるタイミングが来るといいな。状況を見ているとまだ少し早いのかもしれません。