この日記を読みに来てくださる方には周知の通り、ツール・ド・フランスでのドーピング疑惑によるレース追放問題。
正直な言葉でいうと「がっかり」以外の何者でもないのだが、そのがっかりの表現方法でいくつか違和感を感じているので書いてみる。
なお、引用っぽい書き方をしているが、どなたかのblog等の引用ではなく「こういった方向での意見」と言った程度であることをお断りしておく。
ツールを楽しもうよ!クリーンな選手だけでやるわけだから、 これでいいじゃん!
2つの点で違和感を感じる。
1点目が、あたかもこの表現には「除外された人=クリーンでない人」であると決めつけているかのような印象があること。
2点目が、「今回名指しされなかった人は本当にクリーンなのか?」ということ。
2点目については正直なところ考えたくもないのだが、主に「除外された人=クリーンでない、走る人=クリーン」というわかりやすい「壁」を彼らの間に作った点に違和感を感じる。 そこまで正当化するほど出走している「全員」がクリーンとは思っていないし、実際に「名簿に名前があった」だけで除外された有力な「クリーンな」選手もいただろう。
リストに名前があったんだからクロだろ!
どういう基準でリストに載ることが決まったのか、情報にたどり着けていないのだが、
実際にどうだったんだろう。 彼らをかばう方向で可能性を考えてみると、フェンテスが「この選手、うちの顧客にして自己輸血教えてやったら優勝間違いなしだな」と勝手に「顧客(にしたい)リスト」に名前を書いただけということもありえるわけだし、たとえば冷凍血液が実際に有った(各種反応により本人のものと断定できた)として、実はその血液は「調査のためにちょっと多めに抜かせてよ!」なんてやりとりの中で(選手は後から輸血されようなんて思いもしない状況で)抜かれ、勝手に冷凍保存されたものかもしれないし。
いずれもまったくの確たる情報がない状態での想像であり、その場合に「疑わしきは罰する」ような扇動をするのは如何かと思う。
もう見ないとか、盛り下がってる人がいるけど、その人は その程度だよね。いいよ、それで。
それぞれの価値観を認めているという点では評価できるのだが、あたかも「今回の件でレースを見ない(あるいはつまらないと感じる)人はレベルが低く、こんなことがあっても楽しもうとしている自分たちはレベルが高い」と言いたげである。
文脈上、そしてこれを書いた方の立場上、わかってる。自分もかなり「がっかり」している。でも、でも、楽しもうよみんな。というメッセージだ。 わかってる。。
かなり言葉を選んだのだと思う。それも伝わってくる。でも私がその文章から受けた印象は上記引用符号内の言葉だ。
言葉って、難しいね・・・・。
さて、レースは始まっている模様。
私の気持ちの整理はついていないけれど、家に帰って見ようかな。
楽しみですよ。本当に。
でも、どのステージも、誰が勝ったとしても「●●が居たら勝てなかったよねぇ」なんてことを程度の差こそあれ、思うのだろうなぁと予期している自分が、つらい。
いつもレース前に作っている「自作startlist」のExcelファイルも、今年はまだ作っていません。
このリストを作るとき、私はツールに「戻って」来られるのかな、と思う。
まとまってないけど。いまの思い。