ゼンリンミュージアムの赤水&忠敬展が最高だった

ことの発端

2023年12月。ゼンリンミュージアムさん(以降敬称略)が、こんなツイートをしていました。


2024年の1月中旬から5月中旬まで「赤水と忠敬を一緒に並べる企画展」をやるぞ、と。これが私のアンテナにピピピッとひっかかったわけです。

以前より少し気になっていたゼンリンミュージアム。小倉にあるこのミュージアムは千葉県在住の私にとって「ちょっと面白そうだから行ってみよう」というには遠すぎました。しかし、赤水と忠敬が揃って待っているなら、モチベーション100倍アップ。さすがにミュージアムのためだけに九州まで行くわけにはいかないので、何かの予定とカップリングできないかと、そこから模索の日々が続きました。

チャンス到来(というか無理矢理作った)

 最初に候補に挙がったのは、1月末の OSC2024-Osaka のついでに訪問するという案でした。かなり本気で旅程を検討して、、、いやちょっと待って。どう考えてもおかしいでしょ。大阪のついでに小倉に寄ってきましたって。前後のスケジュールを確保しにくかったこともあり、ボツとなりました。
 次のチャンスが 2月の YAPC::Hiroshima。もともと参加を迷っていたイベントだったのですが、赤水とセットになるなら行かない理由はないと、急遽参加を決めました(結果として、期待以上に得るものがあり参加して良かったです。そちらの話はリンク先で)。広島のついでに小倉なら、まぁすぐ近くだしアリですよね! アリですよね!? 

小倉到着

 そんなわけで羽田空港にて SNS には「広島にいってきま~す」みたいな事を書いて、降り立ったのは北九州空港(笑)。4時起きで第一便で到着しました。空港から小倉駅へのバスは補助席もほぼ使い切る満席。
小倉駅では、まず入場券を買って5番線へ。 ゼンリンミュージアムがホームにあった旧喫煙ルームを展示スペースとして利用しているということで、どんなものをかを見たかったのでした。

旧喫煙ルームの中を使っているわけではなく造形の外側にポスター展示をしているもので、これから本物のミュージアムに行くのだったら別にわざわざ見なくてもよかったかもしれません(笑)。が、見なかったら見なかったで「ホームにあるっていうアレ、どんなんだったんだろうなぁ」ってずっと言っていたと思うので、自分の性格としては押さえておく必要があるビューポイントでした。

渾身のボケ不発

 「広島に行くよ」と言って羽田を飛び立ってきたので、ひとつボケてやろうと「平和通り」と「平和通駅」の写真を撮ってSNSにアップしたのですが、誰にも気づいてもらえませんでした。説明抜きで(むしろまじめな顔をして)投稿したので「それ広島ちゃう。小倉やん」と突っ込むことが躊躇されたのかもしれません。大不発(笑)。


一級基準点21046

おお、あれがゼンリンミュージアムのある建物だ!と見えてきたあたりで、何やら気になる美しい橋が目に入ったので、少し寄り道。
寄り道の途中で「伊能忠敬 測量200年記念碑」というものをみかけました。



「2001」という名前がつけられた1級基準点です。点番号21046。成果ID 921079。銘板に記された経緯度は、どうやらJGD2000(またはそれ以降)の値のようです。よかった(笑)。

ゼンリンミュージアムに到着

そんなこんなでようやくゼンリンミュージアムに到着です。家を出てから7時間強。
でもここからがまだまだ長いんです。

いざ入館~怒濤の情報インプット

 入館料を支払っていざ入館。 荷物は最初はずっと手持ちしていればいいやと持っていたのだけど、ほどなくして身軽になりたくて、館内のコインロッカーに預けました。絶対そのほうがラク。館内はほとんど写真撮影不可なので、ここからは言葉中心で。
 最初の廊下に掲示されている地図の歴史の数々を、人類のその想像力に嘆息しながらひとつひとつじっくり眺めていると、キュレーターさんに声をかけてもらいました。余談ですが私、館内にいる間ずっとこの「キュレーターさん」という言葉が思い出せずに「サーキュレーターみたいな感じの言葉だったんだけど、なんて言うんだったかなぁ」と悶々としていました。思い出せないんじゃなくて思い出しすぎていた(だいたい合ってた)と気づいたのは小倉を離れる新幹線に乗ってから。
 で、「北側の窓から関門海峡がよく見えるんですよ」「今日は天気が良くて特に景色がいいですね」などと教えてもらい(こちらの景色は写真撮影OK)。

 私はと言えば、ようやく来られた嬉しさと、大昔の地図の歴史を眺め始めた興奮と、これから見るであろう企画展「赤水と忠敬」へのわくわく感から非常にハイテンションになっていて、お話相手ができた嬉しさかも、あれやこれや話しまくっていたように思います。その後1時間以上、比較的空いていた時間帯だったとは言え、まるで専属案内人であるかのようにたくさんのお話を聞かせていただきました。得がたい体験でした。本当にありがとうございました!

「集めた赤水 歩いた伊能」展示室へ

 企画展の展示室に入ります。普通の興味レベルならば「ふぅん」と言いながら一つ一つ軽く眺めて10分程度ですべて通し終わるくらいかもしれませんが、私にとっては「見たかったお宝」が壁じゅうにあるわけです。実際、この展示室で相当な時間を過ごしました。
 さて、私のこれまでの赤水のイメージは、当企画展でもタイトルになっている「集めた赤水」の通り、現地に行きもせずに、人から話を聞いただけで適当にそれっぽく図に落とし込んだ、というものでした。あっちから来た人に聞いたら高い山があるらしいぞ、ほい来た、山を付け足しちゃおう。こっちから来た人に聞いたら、海の方に向かって大きな回り道になってるって話だ、ほい来た、半島を付け足しちゃえ。そんな集まりで、あの「一応もっともらしい日本の形をした地図」ができるんだから、すごいもんだなぁ、そんな風に考えていました。

 とんでもない。

話を聞くと言っても、ただの旅人に聞くだけでなく、当時の有名な学者さんとの多くの付き合いの中で学術的な裏付けを持ったも情報を得たり、それなりに実績があると言われていた天文学書や事典などをもとに情報収集していたとのこと。中でも私が気に入ったのは、地図を描く上で緯度を正確さの基準とした話。 緯度というのは決められた星の見かけ上の高さ(角度)を観測することで得ることができます。 各地域での観測結果を収集することで(今の地名で書くと)「松江は何度、金澤は何度、宇都宮は何度」と分かるので、この点の情報を基準として地図に描きこむことで、より正確な地図へ近づけることができた、という話でした。すごい。

 地図の歴史を辿るときには、自分の得意な緯度をひとつ持っておくと、より楽しめます。私の場合は北緯35度がそれで、江津から大津、伊豆半島を通って安房まで抜けるラインがどれだけ正確に表現されているかを堪能しました。と言いつつ、私も手元に赤水図のレプリカを所持しているにもかかわらず、赤水図では安房が短く、北緯35度線が安房の南海上を通っていることに、今回の会場で見て初めて気づいたのですが。

 そして目玉の、赤水図と伊能図の横並び展示。 赤水図もすごいなぁと思っていたけど、並べてみると伊能図の美しさが一層引き立ちますね。よくもまぁこんな細かいものを全部測量しながら線を引いていったものだと、その膨大な作業量に驚かされるばかりです。

 そうこうしているうちに(ここまでで入館後2時間経過)ガイドツアーの時間になったので、参加して他のお客さんと一緒にお話を聞きました。既に濃厚な説明をたくさん聞かせていただいたあとなので、私にとっては復習のような感じでしたが、改めてひと回り説明を聞いてみて、展示の流れが整理できたような気がします。

 私にとって今までの大きな疑問が「何もないところ(というか事実上は行基図か)からいきなり、あの赤水図が生み出されたわけではなかろう」というものでした。 そんな話をキュレーターさんにしたら、その場でiPadで調べてくれて数分後に「見つかりました!」って教えてくれました。私としては「あぁ、やはり赤水が元にした地図というのはあったのか」と安心して、その聞いた名前は忘れてしまったのですが、いま改めて調べてみたところだと、森幸安による通称「幸安図(日本分野図)」でしたかね。あるいは流宣図というのもあるようで意外と色々な地図が当時あったのかもしれません。 人々がこうして「日本の形」を認識していく過程って、更にもう少し調べたら面白そうだなと思いました。

 同様に、海外から「日本」という国が(地図的な意味で)どのように見えていたかも、常設展示のほうで体感することができて興味深かったです。いくつか描かれている地名に、なぜその地名がそこに描かれることになったのか等と当時の様子に思いを馳せるのは楽しいですね。

楽しい時間はあっという間に過ぎ往く

 夜になるまでに広島に移動する必要があるので、名残惜しさを感じつつ、展示の鑑賞は終了に。 館内には休憩所を兼ねたカフェがあり、そちらでコーヒーとプリンをいただきました。今回伊能図の展示をしていたこともあってか、千葉県のピーナッツのお菓子もあったのですが「いや、私そっちから来たので(笑)」。 むしろそのお菓子、時々買ってお土産に持っていくほうの立場なのでした。

ここまで入館から4時間。気分が高ぶっていたので気づきにくかったのですが、さすがに疲れました。プリンの甘さが安らぎに。

ミュージアムのキュレーターの皆さん、受付/カフェ のみなさん、とても雰囲気良く声をかけてくださって、とても心地よい時間を過ごしました。 
小倉というのはなかなか立ち寄る機会のないエリアなのですが、また興味深い企画展がある時にはスケジュール作って訪問したいです。魅力的な企画展を楽しみにしています!

お買い物も

 同じビルの下の階に、地図にちなんだグッズを作って見ることができるお店と、各種グッズの販売のお店とがあり、帰りに立ち寄りました。カンバッヂを作らせてもらったり、いろんなグッズを買ったり(あまり買う気がなかったのですが、ついついあれもこれもと選んでいるうちに5桁の買い物に・・・ヒエー)しました。写真で紹介したいのですが、ここまで書いてきて疲れてしまったので、気が向いたら後日追記したいと思います。

その後の話

 広島に移動して、YAPC::Hiroshimaの前夜祭に参加する予定だったのですが、ホテルに入った途端に緊張がほどけたのか、睡眠不足+水分不足+立ちっぱなしの3拍子が揃ったこともあって、バタンと。 もう動きたくないくらいの頭痛で、そのまま前夜祭を諦めてホテルでお休みしました。 これに関しては残念だったのですが(楽しそうだな~と思いながらTweet見ていました)、ゼンリンミュージアムでの満足度の高さと、結果としてYAPCも翌日の本体で最高の体験をたくさんできたので、体調を適切に整える時間に使えたことで良かったのかなと思っています。 非常に濃厚で満足度の高い2日間でした。

私のたからものの赤水図

 数年前に何かの拍子に買った赤水図のレプリカ。 今回の展示を見て「版」がいろいろあることを知ったのですが、確認したところ手持ちのレプリカは「寛政3年の第2版」でした。ここまで興味を持ってくると、他の版の赤水図も欲しくなってしまいますね。

さいごに

 あの楽しかった体験を日記に書かなければ、と思いながら、書き始めるまでの気合いを溜めるのに1ヶ月以上もかかってしまいました。書き始めたら案の定指が止まらず、書きながらあの楽しかった時間を思い出しました。
この分野に興味を持ってしまった千葉県民としては当然佐原の伊能忠敬記念館には行ったことがありますし、なんなら利根川越えたところにある間宮林蔵記念館も行ったことがありますが、今回、同じく茨城県内は高萩に赤水記念館(最近名称変更)があると教えてもらったので、今年中には一度訪問できたらいいなと思っています。

追記

 この日記を書いているうちに気分が盛り上がってしまい、以前から気になっていた本を買ってしまいました。
ひとつは「流宣図と赤水図」。赤水図の各版の違いを紹介し、見分け方を提示しているのが面白いです。赤水図に至る歴史上の各種地図についても多く年代入りで紹介しており、一度じっくりと目を通して整理してみたいところであります。
もう一冊は中図(伊能図)の原寸大複製。写真で見ると感覚失いそうですが、「流宣図と赤水図」がちょうどA4サイズなので、伊能図の大きさがわかるでしょうか。伊豆諸島の測量結果やシーボルトが持ち出してメルカトル図法に書き直した日本全図なども掲載されていて、ページをめくるたびにわくわくする本です。さすがに気軽に新品で買えるお値段ではないので中古ですが、十分に状態よく、良い買い物をしました。

写真撮影のために開いたページは「いわき 高萩」のページですがページ下部には『赤水の死没10日後であったので、測量日記に「長久保赤水の出し村なり」と書いています』と説明書きがありました。