- 作者: 西成活裕
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/11
- メディア: 単行本
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残念ながら私の現在の気持ちや考え方などに本書はハマらなかったと言わざるを得ません。 読み始めてしばらく。本書では「無駄」とは何かの定義に入ります。 そこで繰り広げられるのは 「"無駄" ということばがどのようなシーンでどのような意味をもって使用されているか」の分析。 これこそ言葉に縛られた(より厳しく言えば言葉をいじって遊んでいるだけ)の無駄な分析であると感じました。 言葉というものは厳密な定義のもとで使用されているわけではなく、時間を経る中での様々な勘違いや類似性による拡張、そして比喩の定着などを繰り返して変化した「だいたいこういうもの」を表したものです。「無駄」という本質を研究対象にしようとする際に、その本質からではなく、言葉からのアプローチを試みた時点で、私の気持ちは萎え萎えでした。 ここでは著者らの考える「無駄」というものを 「世間で言われる "無駄" とは幾分異なるが、ここでは対象を明確にするために、このようなものを "無駄" と呼ぶことにする」と、著者自身によって定義してもらいたかったところです。
しばらく読み進めたけど、こんな気分であったため身が入らず、私としては珍しく途中で読むことを放棄しました。それこそ、読み進めることは「無駄」だと感じたのです。
私にとって無駄とは「いつかどこかでなんらかの形で役に立つこと」以外のすべての行為、行動のことです。この定義では、「今それをやっていて楽しい(心が充実するという役に立っている)」という行為すべてまでが「無駄ではない」となってしまうので、ここで「かけるコスト(時間、お金、手間)と得られる利点(時期、度合、継続量)の強弱の判定」が必要になります。これこそが難しい部分なんですけどね。
こういう話は嫌いではないので、呑みながら「がははは。じゃぁいっちょ "無駄学" でも立ち上げてちょいと本気で "研究" なんかしてみちゃいますかね!」みたいなノリになったら、面白がって乗っかると思うんですけどね。本書からはその「シャレ」を感じ取るのは困難でした。 もしそういう「研究、分析を楽しむ」事を前面に出したければ、それが伝わるような書籍の装丁や構成にすればよかったのにな、と思いました。
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